三川内焼の始まりはおよそ400年前の慶長・文禄の役に遡る。豊臣秀吉が明の征服をもくろんで朝鮮半島に攻め入った時代だ。その時、 連れ帰られた陶工の一人が1598年に現在の長崎県平戸中野で窯を開いたのが始まりとされている。
三川内焼は白磁である。天草陶石を原料に石膏型 やろくろで形成し、絵付けや釉薬を施した後、1300度の高温で磁器化する。陶器より鉄分が少ないために白く、透光性がある。その磁肌を生かすために、芸術的な 技法が発達した。蕪の絵柄を代表とする染付けや、菊花飾の細工法を極めた精緻な装飾である。
三川内焼の伝統を継承する平戸洸祥団右ェ門窯は、17代当主中里一郎氏の家族運営だ。当主の妻、由美子 さんは伝統工芸士で絵付けが専門。長男の太陽さんと絵付けを担当する妻の幸美さんが後継者として当主夫妻を支えている。
太陽さんは伝統の継承に ついて次のように語る。「形や絵柄には、これまで蓄積されてきた形式があります。でも、それは時代毎に少しずつ変化している。作り手の考え方や、技術の向上、使い手のニーズが伴うからです。そして今の時代にあったものが伝統として引き継がれていく。過去の焼物の様式や傾向を踏まえる重要さはここにあります」。未来への責任を背負いつつ、個性を発揮する作り手の葛藤がうかがえる。
伝統の継承における変化は、親子の世代交代にも表れる。17代当主の時代は市場があり、 作ればそれなりに需要があった。しかし、ものが溢れる今、既存の流通では使い手のニーズに対応するのが難しくなっているという。ルートが複雑なため、「こんな器が欲 しい」という最終ユーザーの率直な思いが伝わりにくい。そこで世代交代にあたり窯元自身がショップを設けて製作から販売までを手がけるようにした。「お客様から直接 いろいろとお話を聞けるので、ものづくりが大変おもしろくなっています。じかに『ありがとう』といってもらえるのも、製作の励みになります」。
そんなやり取りで生まれたのがビアグラスだ。これはもともと太陽さんの友人向けに作ったもの。「素焼のビアグラスを作ってほ しい」という希望に沿った。だが、内側を素焼きにすると白くなって飲み物の色で汚れてしまう。それで、飾りの一部として使用していた茶色の鉄の顔料を塗り込むことを発案。 白磁の雰囲気を壊さぬよう、グラスの内側のみに塗った。形状は手にすっぽりと入り、薄手でも軽くて丈夫なようにすぼませた。「誰か一人のためにいろいろ考えて、試行錯誤 することが結果的にたくさんの人にとって使いやすいものになるになると感じています。またそれは、現代の生活のスタイルも合わせて考えて製作することになると思います」。
マグカップも同様の開発経過を経た。太陽さんが以前勤めていた職場の上司が障害をもっており、その人からの依頼で、特徴ある取っ手が生まれた。試行錯誤を重ねた 結果、障害を問わずにぎりやすい形状になった。
太陽さんは、購入者の生活シーンのストーリーを頭に描いて製作しているという。ターゲットは同世代の若い購入 者だ。若い世代同士なら自分たちものづくりに対する考えに共感してもらえる。地域は長崎県内が中心だ。地元のものであれば愛着をもってもらえるし、地方から情報発信し たいという思いもある。「都会であれ、田舎であれ忙しい毎日の生活の中で少しでもほっとしてもらえるような場面を想定して製作に励んでいます」。平戸洸祥団右ェ門窯に、 新たな伝統が生まれようとしている。