立体型のカレンダーキューブは、目の見えない人と見える人の垣根を取り払い、ユニバーサルデザインとして小学校の教科書にも紹介された。ものづくりのまち、東京・墨田区出身のデザイナー、高橋正実さんは、既成概念を飛び越えた新たな共用の形を職人の技術を味方に表現している。
高橋正実さん たかはし まさみ●1974年、東京生まれ。桑沢デザイン研究所グラフィックデザイン研究科卒業。1997年よりMASAMI DESIGN主宰。グラフィック、プロダクト、地域開発などさまざまなデザイン分野で活躍。2007年12月には、2年をかけて行ってきた成田国際空港第一旅客ターミナルビル中央ビル新館の空間デザインが完成し、日本を世界へPRする仕事がスタートする
町工場が連なる墨田区で生まれた。父親はサッシ製造業を営み、仕事場を兼ねた住居で職人に囲まれて育った。周辺は中小工場が多く「学校帰りは型抜き工場に寄り道してシールをもらって喜んでいる子ども」だったという。 絵を描くことや工作も得意だったが、とにかく無類の工場好き。中学・高校時代、桑沢デザイン研究所に入学した後も各地の工場を見て回っては、「プロの技術と魔法に魅せられた」。 時折感じたのは、優れた技術が型通りの使われ方しかしないことへのもどかしさ。例えば、光る印刷技術を得意とする工場は、看板印刷に特化して仕事を続けていた。その技を刺繍に応用すれば、衣類に使って夜間作業者の安全を助けたり、花模様を施して暗闇で楽しく手話ができる手袋もつくれるのに…。見るだけでなく技術の可能性に想像を巡らせるのが好きだった。十代の頃から思いついたアイデアを社長たちに披露し、実現化した技術も数多い。 「人を驚かせるのが大好き。デザイナーという職業を知る前はマジシャンになりたいと本気で思っていました」と、はにかんだ表情を浮かべる。
学校卒業後はデザイン事務所に就職するも、連日の激務で体調を崩し半年後に退社。休養中、桑沢デザイン研究所時代の客員講師から資生堂のパッケージデザイナーとしてスカウトされたが辞退した。自分にとってデザインの仕事は、パッケージやグラフィックなど、ひとつのカテゴリーの中におさめるものではないと思っていたからだ。 世の中にあるさまざまなモノや技術。それら1つひとつの点を、何かと結んで線に、さらに面へと発展させ、社会の解決策となるデザインがしたい。そして日本の優れた技術を応援したい。そんなことを伝えるとフリーランス契約という形で受け止めてもらえた。馴染みの工場の社長たちの応援にも背中を押され、23歳で独立した。
カレンダーキューブは、点字印刷会社社長からの依頼だった。点字は文字が盛り上がる立体インキで、特殊配合の紫外線硬化型のインキだから指で押してもへこまないのが特長だ。 発注内容は、技術PRも兼ねて年賀用に配る点字カレンダー。従来型の壁掛けカレンダーが出てくると思いきや、高橋さんが提案したのは手にほどよく収まるサイコロ型だった。「掌中で転がす立方体のほうがめくるカレンダーに比べて他の月が確認しやすい。それに、壁掛けタイプは広い壁面から貼った位置を探さなければならないけれど、卓上タイプならすぐ手が届く食卓などに置けると思いました」。 立体インキは透明なので、色のついた通常の文字にも乗せられる。そこで弱視の人にも見やすい書体を開発し点字を重ねた。文字と下地の色はコントラストを重視して判読性を高め、数字は直線や丸みなどの特徴を強調する書体を考案。「ただ文字を大きくすれば読みやすくなるわけではないし、対照の材質によって文字色の識別のしやすさも変わってきます」。科学的な視点と技術の裏付け。本当の見やすさを追求した。 一方で、使っていてワクワクするような楽しさも盛り込んだ。組み立て時はパチンと軽快な音で部品のはめ込みを耳で確認できる。大きさは音楽を楽しむCDケースにもなるサイズに。また、点字を実用一辺倒としてではなく、晴眼者にも受け入れられるように、水玉模様のようなポップな印象を付加してデザインすることも意識した。 「なんだか楽しいカレンダーねと子どもにも大人にも受け入れられ、普通に店頭にも置かれるようになれば、『点字って何?』なんて会話も親子で自然に交わされるかもしれない。見えない人やそうでない人の世界を広げるきっかけにしたかった」と高橋さんは語る。 ユニバーサルデザインがまだ一般化していない当時、「視覚障がいのある人向けのカレンダーなのに、なぜ点字以外の形や色にこだわるのか」となかなか理解は得られなかったが、完成品の評判は上々。「まわりから素敵だねとほめられた」「健常者の友達にプレゼントしたい」など感想も多数寄せられ、翌年には商品化された。完成度の高いデザインが流行に敏感な若い層もひきよせ、人気デパートの松屋(東京・銀座)やモダン雑貨を扱うスパイラルマーケット(東京・青山)でも販売された。(現在はMASAMI DESINのホームページ http://www.masamidesign.co.jp/と東京書籍のホームページ http://shop.tokyo-shoseki.co.jp/shopap/10004531.htmから購入可能)
墨田区は国内有数のものづくりのまちであると同時に、下町人情が今も色濃く残る。玄関前の掃除では隣家の門前もさっと掃き、すれちがいざまのご近所との挨拶も自然な光景。銭湯ではお年寄りに洗い場を譲り、かけ湯は周囲に飛ばないよう気を配る。「特別なことではなく、地域の意識として根付いているんです」。「いろいろな人の立場になって考えるのが得意」という高橋さんの素地は、この土地で育まれた。 手がける仕事は幅広い。視覚障がいのある人への美術館ガイドブック、フケやカユミに悩む人用のシャンプー・リンスのパッケージデザインといったユニバーサルデザイン商品のほか、森ビルの広告や表参道ヒルズの多目的スペース「O」のネーミングやロゴデザインも。墨田区の基本構想づくりに携わるなど、数十年後に世の中に形となって現われる「見えないデザイン」も増えてきた。目線の先にあるのはいつも人と社会をつなぐデザインだ。 3年前からキッズブランドの商品コンセプトやデザインの仕事も始まった。主要商品は布オムツ。小紋風の洒落た柄はセンス重視の母親にも支持されている。大きな窓から光が差し込むオフィスで遊ぶ2歳の長男に目をやりながら「成長過程にある赤ちゃんの足の固定には、洗いざらした布の固さがちょうどいいんです」と母親の笑顔がこぼれる。親と子をつなぐデザインにも、客観性をおびた温かなまなざしで取り組んでいる。
写真:岐阜県美術館ガイドブック 視覚障がいをもつ人が触れてわかるガイドブック。岐阜県美術館の依頼で制作。左ページは弱視の人が立体として捉えやすい斜めの角度で撮影した写真を、右ページには全盲の人も作品の全体像がわかるよう正面から捉えたイラストを隆起印刷した。ファイリングではなく背表紙をつけた体裁も点字書籍として日本初