デイサービス このゆびとーまれ 理事長 惣万 佳代子さん
「このゆびとーまれ」の名称には、赤ちゃんからお年寄りまでみんなが集まれるように願いを込めた。このゆびにとまった人は断らずに誰でも預かる。黒部市出身の惣万さんは、富山市内の看護学校を卒業し、20年間看護師を務めた。患者本位のサービスに専念していたが、退院したお年寄りが家に帰れない現実を目の当たりにし、自分たちで何とかできないかと思い始めた。富山県は女性の就業率が日本一高く、家族介護を受けにくい事情があるのだ。自分の家なのに帰れず、「畳の上で死にたいが」と泣いているのを見て、惣万さんは1993年に仲間の看護師(西村和美さんと梅原けいこさん)とともに民間のデイケアサービスを始めた。 当時は介護保険がなかった。県や市に補助金の相談に行くと、障害福祉課にも、長寿福祉課にも、児童福祉課にもあてはまらないという理由で断られてしまう。職員からはどこかに絞るように言われたが、信念を曲げることはなかった。 デイケアの立ち上げには、退職金をつぎ込んだ。運転資金は借金だ。たちまち経営難に陥ったが、寄付金が全国から集まり、乗りきった。 介護保険が始まる1998年、追い討ちをかけるように県は民間デイケアへの補助金打ち切りを決定。厚生部長は陳情に押しかけた惣万さんたちに、法人格を取得して介護保険の適用を受けるよう説得する。背に腹は代えられない。制度をじっくり学びNPO法人を取得した。介護保険の指定事業者となっても信念を曲げない惣万さんたちに、今度は県が歩み寄る。縦割りの仕組みを超え、柔軟な補助制度を打ち出したのだ。富山型デイサービスがここに始まる。 それから13年が経ち、行政はかなり変化した。昨年には、富山型デイサービスが特区として半数の県で広がっている。「全国制覇まであと一歩や」と惣万さん。まだ半数では縦割りの制度を維持しており、富山型を実践しようとしても、子ども、障害者、高齢者とそれぞれ玄関や便所、風呂を別に設けねばならない。「行政はこれからはノーマライゼーションとかユニバーサルとか言うわりに、いざとなったら玄関別にせえとか、結局は縦割りを離れとらんかやね。ノーマライゼーションってどういうことかいうたら普通のことをすればいい。制度に合わせて人間生きとんがじゃないがだから、制度が人間に合わせにゃあ」。
現在、スタッフは合計56人。男性はすべて大卒で大学院出身者もいるという。今年から働き始めた高山文徳さん(23歳)は、保育士と介護福祉士の資格をもつ。ここを選んだ理由について、子どもとお年寄りと障害者すべてに関わる仕事に就きたかったと語る。特別養護老人ホームや老人保健施設への就職を考えたが、すでに就職した友達から「流れ作業みたい」と感想を言われ、ショックを受けた。結局、家族的な雰囲気のなかで子どもから高齢者までが利用する富山型を選んだ。高山さんは、仕事の楽しさはコミュニケーションにあるという。「受け入れてもらおうと思ったら全部自分を出さなければいけません」。言葉だけではない非言語のコミュニケーションだ。笑顔や手の動き、目の動きといった一挙一動に気を配る。「反応がないときは、反応がないという反応であって、自分が拒否されていることなのです」。 現在、惣万さんたちは県とともに富山型デイサービスの起業家立ち上げ支援や研修も請け負う。増えつづける介護ニーズに対し、これからもなるべくこの規模を維持したいと惣万さん。広げたとしても障害者のグループホームと、小規模多機能施設を増やす程度だ。「手を広げたら顔が見えんようになるからね。ものをつくる仕事と違って、人と人との仕事やから」。