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2.ユニバーサルデザインの事例と動向
 
#61 小布施町の未来に引き継ぐまちづくり
 
セーラ・カミングスの文化&修景事業
 
曽川 大/ユニバーサルデザイン・コンソーシアム研究員
 
取材協力
 
セーラ・マリ・カミングス氏
 
桝一市村酒造場取締役
 
 

北信州の集落に金髪のハリケーンが上陸、勢力を拡大中。2002年、日経ウーマン誌の「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」を受賞し、全国のまちづくり・まちおこしに新風を巻き起こしたセーラ・カミングスさんから受けた当時の印象だ。
写真:セーラ・カミングスさん

 
小布施堂との出会い
 
 13年前、セーラさんはペンシルバニア州立大学を卒業後、長野市内の企業に契約社員として来日。働きながらオリンピックのボランティアに参加していた。しかし、「出る杭は打たれる」体質に阻まれ意気消沈する。そんな時、上司からおもしろい会社があると紹介されたのが小布施堂だ。早速電話1本、押しかけ同然で面接に挑んだ。同社の市村次夫社長は突然の志望者に戸惑いながらも、異分子としての可能性を嗅ぎ取った。
 当時、市村氏は従兄弟の市村良三氏(現小布施町長)とともにユニークなまちづくりを成功させていた。後に小布施方式と呼ばれる土地再編方式である。場所は行政と企業、個人の権利が入り組んだ1万6000kmの界隈だ。幹線道路に面した民家を静かな場所に移築する一方、奥まった位置にあった店舗を道路沿いに移動。歴史的建造物を移築、曳き屋でそのまま活かし、住民と訪問者双方にとって懐かしく快適な環境を実現した。通常であれば利害が衝突するところを、それぞれの地権者が対等な立場で参加できる仕組みにした例は珍しい。
 そうしたプロデューサーとしての直感がセーラさんの可能性を見出したのだろう。実際、修景事業が一段落したものの、市村氏は次の展開を模索していた。現状に満足していては地域も企業も停滞してしまうからだ。即座に採用が決まり、経営企画室に配属された。職務は文化事業の開拓と推進。たった一人の部署だったが、束縛は一切なかった。
 放し飼い状態になったセーラさんは、水を得た錦鯉のごとく動き回った。小布施は地方文化の宝の山。土地の人が見過ごしていた財産を掘り起こし、次々と事業に結び付けていく。そこには摩擦をエネルギーに変えてしまうバイタリティがあった。「物事を起こすのに抵抗はつきもの。相手が悪いと思う前に、どのように自分を変えれば好転するのか考えます。要はプラス思考。抵抗を超える力を身につければよいのです」。
  写真:小布施方式で住民と訪問者双方にとって懐かしく快適な環境を実現
 
 
左:北斎館と高山記念館の間を通る栗の小道。小布施名産の栗の木を敷いている
右:小布施の原風景を残した笹庭。以前は雑草だらけだったが、セーラさんが率先して草むしりをした
 
 
文化事業と修景事業
 

 1998年に長野オリンピックが開催。世界の注目と同調するかのように、斬新な発想を次々とプロデュースしていった。そしてネーミングへのこだわり。のびのびとした言葉遊びは江戸の粋とアメリカンユーモアの融合だ。セーラさん曰く、「ほとんどビョーキです。」
 まずはその年にオープンした「蔵部」。酒蔵の一部であることを引っ掛けた。3基の大竈をしつらえたオープン形式の厨房と黒光りする梁に囲まれた大空間が圧倒的な存在感を放つ。当初、市村社長はここを部分改修して品質のよいレトルト食品と自社銘柄の酒を提供する計画だった。本物にこだわるセーラさんはこれに猛反発。海外の建築家を起用して歴史ある枡一市村酒造の文化をそのまま伝えるレストランに仕立て上げた。
「小布施ッション」は2001年8月にスタートし、今年の3月で68回目を迎える。毎月1回、ゾロ目の日に開催。さまざまな分野で活躍する人を講師として招いて食事や酒を楽しむ。「強い思い」「アイデイア」「意欲」を意味する「obsession」との掛け合わせが妙である。
「小布施見にマラソン」は今年で5回目を迎える。速さを競うのではなく、小布施を見て楽しみながら走るミニマラソンだ。昨年の大会では、15歳から93歳までのランナーが参加した。「年齢制限をしないので誰でも挑戦できる。誰もが夢を実現できる町であることをアピールしたい」とセーラさん。
 修景事業のフラッグ・プロジェクトが古民家再生だ。高齢・若手の職人が茅葺から瓦作りまで手仕事で協同する。過去から未来への絆を伝統技術で結びなおすことが目的だ。材料にはとことんこだわる。古くなるにつれて上手に年を取れるようにするためだ。「日本では戦前まで、職人たちが設計から施工までを請け負っていました。でも今は設計者と職人の機能が分かれてしまい、伝統文化が引き継がれなくなってしまった。今が古い世代と新しい世代を結ぶラストチャンスなのです」。
 

  写真:オープンキッチンの蔵部。寄りつき料理(蔵人のまかない料理)をアレンジし、リーズナブルな価格で提供
 
 
左:桝一市村酒造場には、セーラさんがプロデュースした純米酒「スクウェア・ワン」が並ぶ。セーラさんは全国の蔵元に呼びかけ「桶仕込み保存会」を発足。現在では28社が桶仕込みに挑戦している
右:春にオープンするホテル「桝一客殿」。移築した土蔵3棟を中心に7棟の木造家屋で構成
 
 
とにかく自分で動き出すこと
 
 セーラさんの故郷はペンシルバニア州のステートカレッジという伝統ある美しい町だ。大学の町でもあり、自身も保守的な家庭環境で生まれ育った。参加型のまちづくりがあたりまえで、住民は自発的に町をきれいにする。道で会えば、誰にでも挨拶をする。そういう環境で生まれ育ったので、やればできると信じる理想主義者になったという。
 セーラさんの目から見て、日本人には行政頼みの姿勢が強すぎるという。「今は変化の時代。民間が責任を持って、できるところから変えていくべきです。ところが日本人は行政頼りでクレームが多すぎます」。ゴミが落ちているのなら、行政に文句を言うのでなく自分で拾えばよい。実際、セーラさんはゴミ拾いや草取りを率先することから始めた。長い間一人だったが、いつの間にか回りに人が集まり、人の輪が自然に広がっていった。一度流れを作ってしまえば人が動き出すという。
 半分眠っていた地域住民の感性を叩き起こし発動させたセーラさん。小布施堂の文化事業と修景事業の責任者になり、勢いは増すばかりだ。彼女が見出した価値に国境はない。
 
  写真:古民家再生では高齢・若手の職人が葛飾北斎のアトリエを再現している
 
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